飯野城跡
えびの市原田


飯野の街より大淀川づたいにそれ、前方に物見曲輪のあった丘を望む
史跡 飯野城
昭和49年9月4日・市指定

飯野城・別名亀城(きじょう)は永暦元年(1160年)に日下部重貞が
入城し、康永4年(1345年)には北原兼幸が、永禄7年(1564年)
には島津義弘が城主となりました。
元和元年(1615年)一国一城令によって廃城になるまでの間、
真幸院の領主の居城として繁栄していました。この城は、飯野一帯を
眺望できる断崖と深い谷に囲まれた要害の地に立地しています。丘陵
頂部は平坦に造成され、
本丸や二の丸、物見曲輪などを備えた強固な山城となっていました。
平成2年3月
えびの市教育委員会
2000年12月9日撮影



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