宮崎県・えびの市 | ||
木崎原合戦跡 | 伊東氏と島津氏の、天下分け目の関ヶ原と言われる木崎原の戦い。 | |
飯野城跡 | 別名を亀城(きじょう)島津義弘公が30歳〜56歳までの26年間を過ごした中世の山城跡 | |
宮崎県・須木村 | ||
須木城跡 | 日向の伊東氏方に属していた米良筑後守が入城。筑後守は木崎原の戦いで討ち死にする。 | |
米良筑後守の墓 | 一麟寺跡、米良筑後守墓、村尾源左衛門の墓 | |
鹿児島県・鹿児島市 | ||
琉球館跡 | 慶長14年(1609年)薩摩藩の琉球侵攻の後、薩摩に置かれた琉球からの人質や 朝貢使節(大和のぼり)を滞在させた場所。 |
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琉球人松 | 琉球からの船が入港する時、目印にした松といわれる「琉球人松」 | |
鹿児島県・加治木町 | ||
南浦文之の墓 | 黒衣の外交官と言われ島津3代に仕えた僧、鉄砲記の著者 |