須木城跡
須木村大字下田字唐池


本丸跡(松尾城)、庚申城跡、肥田木城跡

本丸跡(松尾城)、庚申城跡、肥田木城跡を総称して須木城と言っ
ている。
肥田木城跡が最も古く肥田木武治の築城とされている。
肥田木武治は、延元2年(1337年)8月より島津家に仕え
須木押領司に任ぜられた。
その後、須木は肥後菊池氏の支族、米良氏の領有になつたが、
日向の伊東氏方に属していた米良筑後守が木崎原の戦いで討ち
死にすると、
島津氏の領有となる。いったんは、再び伊東氏が取り戻すが、
天正4年(1576年)高原城の戦い後は島津領となる。
小林城、と共に、島津氏と伊東氏との最前線であつたと言える。
参考
遡ること、南北朝時代
菊池氏第9代山崎和泉守基兄(新田義貞)の子・基治が、
当時日向における勤王軍の将領として大いに気を吐いた
肝付兼重と共に、この須木城にたてこもつたこともある。
本丸跡(松尾城)の跡
須木城跡の丘より「すきむらんど」を望む
2000年12月3日撮影



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