琉球館跡 |
鹿児島市小川町 |
鹿児島城・西郷隆盛の作った私学校前(現在・長田中学校内) |
琉球館跡 この地は薩摩藩の琉球館跡です。 琉球とは、沖縄の中国風の呼び名です。慶長14(1609年)島津家18代家久が、 琉球に兵を出して支配下におくまで、琉球は、独立国家として独自の歴史を歩ん できました。 薩摩藩は、琉球在藩奉行を送り込み、表面上は、琉球王国を装わせながら、 中国貿易など大きな利益の全てを藩の管理下に置いたのです。この時、琉球からの 人質や朝貢使節(大和のぼり)を滞在させた場所を「琉球仮屋」と呼んでいましたが、 のち、藩ぐるみの密貿易を扱う役所として「琉球館」と改めました。幕末藩の財政改革 につくした家老、調所広郷(ずしょひろさと)が琉球館を管理する「琉球館聞役(ききやく)」 を兼務していることから、いかに薩摩藩が、琉球を重視していたかがわかります。 |
2000年10月22日撮影 |